東京地方裁判所 平成2年(モ)11989号 判決 1990年11月13日
債権者 株式会社モビー
右代表者代表取締役 野口義行
右訴訟代理人弁護士 芦田直衛
債務者 有限会社セノオ
右代表者代表取締役 瀬野兵治
右訴訟代理人弁護士 小山勲
小林康志
主文
一 債権者と債務者との間の東京地方裁判所平成二年(ヨ)第三七八号仮処分申請事件について、同裁判所が同年三月二六日にした仮処分決定を認可する。
二 訴訟費用は債務者の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 債権者
主文同旨
二 債務者
主文第一項掲記の仮処分決定(「本件決定」)を取り消す。
訴訟費用は債権者の負担とする。
第二事案の概要
一 争いのない事実
1 本件決定は、債務者が建築中の別紙物件目録記載の建物全体(「新築建物」)のうちの地下一階、地上一階、二階の一部(「債権者賃借予定部分」)について、債務者が債権者以外の者に対し賃借権その他の使用権を設定してはならないというものであり、その被保全権利は債権者と債務者との間の昭和六三年一一月一九日付け「(仮称)新宿東口Sビル建築協力協定書」と題する契約(甲一。「本件契約」)による債権者の条件付賃借権に基づく引渡し請求権とされている。
2 本件契約によれば、①債権者が新築建物建設予定地にあつた旧建物の一部について昭和六〇年一月一日から昭和六四年一二月三一日までの期間で賃借し、服飾販売業を営んでいること(一条)、②債務者は新築建物の竣工を条件として債権者賃借予定部分を債権者に貸し渡すこと(二条、四条)、③債務者の債務不履行により債権者が新築建物に入居できないときは、債務者は債権者に損害金四億円等を支払うこと(七条)等が定められている。なお、新築建物の竣工時期は、本件契約によれば平成二年一〇月末となるが、工事現場には「平成三年新春オープン」と掲示されている。
3 ところで、旧建物の賃借人は債権者と同一名称の株式会社モビー(「旧会社」)であつたが、昭和六二年三月二日に、旧会社は株式会社キューピーと合併して解散し、株式会社キユーピーの商号が株式会社モビー(「新会社」)と変更された。また、昭和六三年四月には、株式会社ラングラージャパンが有していた新会社の全株式が株式会社サンダイヤに譲渡され、新会社の取締役も変更された。
4 債務者は債権者に対し、平成元年一二月一八日付け内容証明郵便によつて本件契約を解除する旨の意思表示をした。
二 争点
1 被保全権利
債務者は、一3の合併・商号変更・株式譲渡(株主変更)・経営陣変更は、新旧会社間の同一性がないことを意味し、新会社である債権者の旧建物に対する賃借権は、旧会社から脱法的に債務者に無断で譲渡されていたものであつて、債権者が債務者にこのような事情を秘して締結した本件契約は、要素の錯誤により無効であるか、債権者債務者間の信頼関係を維持できないものとして一4によつて解除されているので、債権者は条件付賃借権を有しないと主張する。
2 保全の必要性
債務者は、仮に債権者の条件付賃借権が肯定されても、一2③の本件契約に基づく損害金支払約定により債権者の保護は十分であつて、保全の必要性はないと主張する。
第三争点に対する判断
一 被保全権利
1 前記争いのない事実及び疎明によれば、新旧会社の設立の経緯等に関し、次の事実を一応認めることができる。
① 昭和三三年三月、東洋紡績株式会社が全株式を有する株式会社東洋紡テキスタイルギヤラリーが設立され、同社は、昭和五三年一月ころ同光貿易株式会社が設立(昭和四五年一二月ころ)していた株式会社モビーの営業譲渡を受け、昭和五三年四月に株式会社東洋紡リテイルと商号を変更した(甲三1・2、五1・2、一〇、乙七)。
② 債務者は、旧建物の一部を昭和四五年ころから同光貿易株式会社に賃貸していたが、借主の名義は、昭和四八年ころ当時の株式会社モビーに変更され、①の株式会社東洋紡リテイルへの商号を変更に伴い、昭和五四年末の契約更新の際に再変更された(乙七)。
③ 昭和五六年六月九日、株式会社ラングラージャパンが全株式を有する株式会社キューピーが設立された(甲三2、五3、一〇)。
④ 昭和五八年九月一〇日、①の株式会社東洋紡リテイルは株式会社モビー(旧会社)と商号を変更した(甲一〇、乙二)。
⑤ 同年一〇月一五日、④の株式会社モビー(旧会社)の本店が債権者の現住所地に移転され、同年一二月二二日、全株式が株式会社ラングラージャパンに移転された(甲五1、一〇、乙二)。
⑥ 昭和五九年一二月三一日付けで、債務者と④の株式会社モビー(旧会社)との間で旧建物について賃貸借を更新する契約が締結された(甲二)。
⑦ 昭和六二年三月二日、④の株式会社モビー(旧会社)は③の株式会社キューピーも合併して解散し、株式会社キューピーの商号は株式会社モビー(新会社)と変更されたが(争いなし)、その代表取締役は合併前の両社の代表取締役を兼ねていた筒井周一及び小池敏之であつた(甲五1・3、一〇)。
⑧ 昭和六三年四月一日、⑦の合併後の株式会社モビー(新会社)の全株式はサンダイヤ株式会社に移転され、また、同月一八日、代表取締役に野口義行、千田嘉彦が就任した(甲一一3)。
⑨ 同月初旬ころ、千田は、債務者代表者と面談して就任(予定の)挨拶をし、右⑦⑧について告げ(甲一一3。なお、乙七の債務者代表者の陳述書には、面談したこと自体は認めるが、「何かのパンフレツトを見せられて、ちよつと雑談」しただけで「千田や周りの人の話も特別何の注意を払わずに聞いて」いたので「重要な話合いをした記憶は全く」ない、として面談の内容を否定する旨の陳述記載があるが、この当時に千田が債務者に面談する必要は右⑦⑧の告知以外にはなく―後記2のとおり、これらは必ずしも書面をもつて告知される必要のあるものとはいえない―、この陳述記載部分は信用できない。)、また、同年五月以降一一月の本件契約に至るまでの株式会社モビー(新会社)と債務者との交渉には千田が実質的に関与し続けてきたが、そのことに関し債務者から異論等が述べられることもなかつた(甲一〇、一一3)。
⑩ 株式会社ラングラージャパンは東洋紡績株式会社を筆頭株主とする会社、サンダイヤ株式会社も東洋紡績株式会社を主要株主とする会社で、野口はサンダイヤ株式会社の代表取締役をしていた者であり、また、千田はサンダイヤ株式会社が出資する三和トレーデイング株式会社の代表取締役をしていた者である(甲一〇、一一1・2・3、乙四、五、六)。
⑪ ⑦の合併前の株式会社モビー(旧会社)は「繊維製品の卸売及び小売」とそれに関連する事業を目的とし、合併後の株式会社モビー(新会社)は「衣料品及び服飾雑貨の販売」とそれに関連付帯する事業を目的とする(争いなし)。
2 ところで、株式会社が合併した場合、合併により存続する会社は、これにより解散する会社の権利義務を承継するものとされている(商法四一六条一項、一〇三条)。この権利義務の承継は包括的なものであり、解散する会社が有していた賃貸借関係上の権利義務も、原則として存続する会社に承継され、会社の合併が実質的に賃借権の無断譲渡(民法六一二条)に該当しそれが賃貸借関係の基礎となつている信頼関係を破壊するような場合には、例外的に承継が否定されることがあるものというべきである。
本件の場合、旧会社の合併、新会社の発足の経緯等は前記1①ないし⑧に、両会社の関連性等は同⑩⑪にそれぞれ認定したとおりであつて、専ら債権者側の税務等の経営上の都合によるものである。これらのことからすれば、新旧両会社は、合併によつて権利義務を包括的に承継した同一性のある法主体というべきであり、これが賃借権の無断譲渡を目的としているとか、賃借権の譲渡につき債務者の承諾を得られる見込みがないからこれを脱法的に実現しようとしてされたものということはできない。なお、従来の「名義変更」は前記1②に認定したとおりであり、「名義変更料」を支払つてこれが実施されていることは乙七において債務者が自認しているところである。
したがつて、これらの経緯を賃借権の無断譲渡とし、これを前提として本件契約の無効あるいは解除をいう債務者の主張は採用できず、債権者と債務者の間には、本件契約に基づく条件付賃借権が存在しているというべきである。
なお、債権者と債務者との間の旧建物についての賃貸借契約書(甲二)第一五条では、債権者が「会社組織、名義変更、新しい営業承継者が出来た場合」は、債務者の「文書による承認」を受けて「新しく契約を結ぶ」こととされている。前記1⑦⑧は、形式的には同条の規定する場合に該当すると考えられ、しかも同条所定の文書による承認や新契約の締結はされていない。しかし、前記1⑦⑧は必ずしも賃貸借関係の基礎となつている当事者間の信頼関係に直接関係しない事柄というべきで、これが「文書による承認」、「新契約の締結」が必要な事項とする合理的な根拠はなく、かつ、前記1⑨のとおり債権者から債務者に口頭説明がされ、本件契約締結に至るまでの間債務者から全く異論等がなかつたことからすれば、前記旧建物の賃貸借契約上のこのような形式的違反は本件契約の効力に消長を来すことはないというべきである。
二 保全の必要性
本件契約において、損害金の支払約定があることは当事者間に争いがない。しかし、特定物の引渡し請求権を保全しようとする場合において、その引渡し請求権の債務不履行の際には損害賠償請求権があるとして保全の必要性を否定するのは、仮処分制度自体を否定する立論であつて、この点に関する債務者の主張も採用できない。
(裁判官 笠井勝彦)